諏訪湖大花火大会の爆音と大雷雨 (第41話)
今回のコーナーはお盆休みを兼ね、長野に出かけ、
諏訪湖祭湖上花火大会に、出かける計画を立てていた所、
過去中止ということのなかった65年間において、
初のゲリラ豪雨の前に,なすすべもなかったという結末でありました。
花火大会のコーナーを覗かれる方は、
!
第二章までワープして、ご覧下さいませ。
新聞やテレビでは、報道されない、体験談を、人間模様も、交え、まとめました。
大変な長編となりましたが、私の貴重な経験を、垣間見て頂ければ、幸いです。
第一章 国宝松本城天守閣
第二章 諏訪湖畔へ
第三章 湖畔から上諏訪駅までの脱出
第四章 JR不通の上諏訪駅構内
第五章 駅構内での笑いと涙の五時間 涙編
第六章 駅構内での笑いと涙の五時間 笑い編
第七章 ようやく構内に電車が
第八章 懐かしきかな岡谷駅
第九章 諏訪湖祭湖上花火大会ありがとう
第一章 国宝松本城天守閣
今年の夏は、長野の父(妻の実父)の初盆ということで、
当家全員が、可児に集合、そして、8月14日に車で出発。
涼しいはずの長野県の駒ヶ根。やはり、猛暑。
日本列島。猛暑!猛暑!って感じでありました。
途中、国宝松本城 の天守閣に登ろうといって、入城。
この暑いのに、すごい 人!人!人!
天守閣に登るのに50分くらい並んだのです。
3歳半の孫も一緒に 、45度以上もあろう急な 階段を 昇り 降り。
日本人って、本当に、辛抱強く、
規律を守る事の出来る人種だな~~って感じ。
15日朝、初盆の法事に参列。
いつもは、お盆を過ぎる頃からは、心地よい風に、ほっとする感じでありましたが、
” 長野市も、暑かったけど、この荒安も暑いね~~”
第二章 諏訪湖畔へ
大人5人
三歳半の女の子、
小六、小4の女の子、そして、小三の男の子
合計九人で 全国でも人気度上位の長野県諏訪湖祭湖上花火大会会場へ・・・
諏訪周辺の大渋滞を避けるため、
宿泊先のゴルフ場諏訪レイクヒルカントリークラブには、花火を見た後行くことにして、
まず、岡谷駅から電車に乗って、上諏訪駅までという手順。
三時前なのに、すごい人手出。
地元の知人のご好意で、カンケツセンセンターのそばに、
無料席を確保していただいていたので、
まず、席の確認、
みんなで、これは特等席だね~~ と・・・
湖の水際の目の前で、えさをついばむ鴨を見ていたところ 、
岡谷方面に、雷雲らしき雲の流れが、大きくなってきたのであります。
このときは、15時50分頃かと・・・
あれ!! ポツポツふって来たか?!
と共に、雨の匂い!
そして、ナマ温かい風!!
これは!イカン!!
席取り用のブルーシートが風に飛ばされないように、しっかり固定し、
三歳半の女の子や、子供達ををみんなで守りながら、
とにかく避難 この時も、結構、私たちの行動は早かったかと記憶している。
避難場所がなく、傘も持っていないので、
とりあえず、カンケツセンセンターの玄関に逃げ込んだのです。
この間、雷は、断続的になり、雨足は横風と共に、ひどい状態。
私たち9人が避難したと同時に、大雷雨と共に、嵐のような横降りの大雨が・・・・
全員が一時将棋倒しになるくらいの悲鳴と共に、大混乱!!
私自身、どこかの花火会場での将棋倒し大事件のことが頭にちらつくほどの、
パニックになりました。
お陰様で、小さい子達は、周りの、親切な方たちに助けられ比較的安全な所で、
楽しそうに、話していましたので、安心。
私たち大人は、頭のてっぺんから、足先まで。ずぶぬれの行水状態!!
孫たちに、笑われるくらいのひどい格好になったみたい。
そのうち止むからね!!
通り雨だからね!
となかなか止みそうもナイ雨と空を見て、寒さに震えながら
雨の上がるのを待って、花火を見たいという思いは、
みんなが持ち続けていたのです。
一時間半くらいは、待ったでしょうか?
湖上の空に、薄明かりがさし始め、
さあ!止んだよ~~
みんな同じ思いの中で、さあ!これから花火だ~~
歩き出した、花火客、
結構、浴衣の若いカップルがいましたが、
もうほとんどの人が、ずぶぬれ状態、
せっかくの綺麗なスタイルも、・・・・
明るい笑い声の中、自分達の、席に戻って、
や~~雨風で、シートが飛んでないか心配だったけど、
よかったね~
それぞれが、食事や宴会をし始め
子供達も、前もって、貰っていたお小遣いで、イロイロ買ってきては、
本当に、楽しそうに
私たちにもおすそ分けをしてくれて、花火が始まるのを待っていました。
このときは、午後6時40分頃かと・・・
ところが、とても、私の常識的な記憶の中では、想像もつかないことが起こりはじめたのであります。
今でも忘れられません!!
岡谷方面の、山にかかった雲の流れ!!
白っぽい感じの雲の流れ
そして、ナマ温かい感じの風。
そして、異様な感じの匂い を
私は、感じたのであります。
小さい子、特に三歳半の子がいることは私の頭の中には、ず~とあったのです。
周りの人たちは、まだ、腰を上げるような感じではありませんでした。
二回も大きな雷雨が来ることってあるの!!
ちょっと!!
もう今、引き上げないと大変になる!!
急いで!ブルーシートをかぶるから持って!!
といって引き上げを・・・ 決意!!
孫や子供達は、
ええっ??!!帰るの???
いま!ここを出ないと、大混乱になるよ!!
みんなに告げて、未だ雨は来ていなかった段階で、周りの人に
” もう帰りますので、よかったら、ここ使ってください!!”
湖畔べりの石ころや凸凹を乗り越え、
孫たちを守るようにして、湖畔の周回道路に、人の隙間を縫うように、
ようやくの思いで脱出しました。
第三章 湖畔から上諏訪駅への脱出
ここまで来る頃には、もう雷もなり始め、雨も降り始めました。
でも、未だ周りは、帰ろうとするというより、避難しようとする人の方が多いって感じ。
満足な雨具の用意はなく、傘をさしていても意味のない 雨!激しい雷鳴
1.7メーター角のブルーシートに、9人が、まるで獅子舞のように、
子供達を、中にいれ、
頭からずぶぬれになり、とにかく、人ごみを避け、
” 先へ行け~~ ”
ちょうど本部席当たりに、さしかかった時、
どッドーン、
バリバリバリ!
花火が始まったのであります。
丁度、午後の7時でありました。
花火の爆音、
激しい雷鳴、そして稲光と共に、炸裂する、巨大な花火、
容赦なくたたきつける、冷たく痛い感じの豪雨
この大変な状態のときにシートのなかから二男の次女が
撮影したビデオ。
このブログでは配信できなく残念ですが、
その一こまを、ご覧下さい。
ばしゃ!ばしゃ!ばしゃ !
花火の炸裂音と共に、
シートに容赦なく叩きつける感じのすごい雨、
内臓が震える 感じのすごい音の競演でありました。
もう、私達全員が固まってしまい、
しばらくこの不思議な競演に、見とれていました。
3歳半の子も含め、孫たちは、泣きもせず、
逆に、花火と雷に負けないくらい
大きな声を張り上げていた感じ。
さあ!ここで止って見物するわけには、いかん!!
みんなが後ろ髪惹かれる思いで、何度も何ども、
花火が雷雨の中大きく
打ち上げられているのを見ながら、
もう少しだ!もうすこしだ!
と私が先頭、皆を引っ張って、上諏訪駅 にむかいました。
このあたりでも、未だ帰る方向への人は少なく、
会場に向かうか、立ち止まって見物 しているか
建物の庇の下に避難している人がほとんど。
なので、なかなか、前に進めないって感じ。
一人なら・・・・ですが、9人の塊では・・・・ってところでありました。
もぅ全身ずぶぬれ。
駅まで,100メーターくらいの所まできたところで、
雷雨は、一層激しくなり、
途中で雨宿りをとも思うくらいでしたが、
頑張れ!頑張れ!もう少しだ~~!!
この間、まだ駅から花火会場へと向かう人たちがいて、
駅周辺は、大混乱。
昭和24年から始まった花火大会。
過去一度も中止 なんてことはなかったのであるから、
大勢のお客さんも未だ会場に向かう人の方が多いって感じでありました。
道路も車で大渋滞。
異様な雰囲気の中、私たちは、無事駅改札口 までたどりつきました。
雨で紙切れ同然となったくしゃくしゃの切符を出し,
岡谷方面のプラットホームに降りる事が出来,
ここで始めて,あ~あ~ようやく帰れるって。
第四章 JR不通の上諏訪駅構内
ところが、ちょうど茅野方面からついた臨時列車から、
花火に向かう人がおりて来られ、大混雑。
後ろを振り返ると、私たちのあと花火をあきらめて、ホームにおりてくる人とで、
階段は、もう、動けない状態となっていたのです。
いや~~早く引き上げて来てよかった~。
この時が7時半頃かと。
ここからが、今まで経験した事のない
バリバリバリ という感じの雷と豪雨。
そして,雨でかすんだような、丸い大きな花火が、建物の間から見え、
なんとなく物悲しい 感じが募り始めていました。
花火の爆音。
雷の張り裂けるような、音。
プラットホームの雨樋から溢れる滝 のような雨水の音
そして,ホームの人たちの悲鳴の嵐。
何と,不安な精神状態の十数分間!!
7時45分頃、花火の中止の放送が流されると、
ホームの人たちのため息のような、
やっぱり早めに帰ってよかった!!とでもいうような、
一種の安堵感が漂ったのであります。
その後は、
バリバリバリ
という感じの雷と豪雨、
もう、今は、花火はなく、雷の独壇場って感じでありました。
そして、救急車のサイレンが
余計に不安感を募らせる感じ。
流石に、すぐ近くに落ちた感じの雷の音の時には,
大勢の悲鳴と共に,私の孫も含め、何人かの子供さんが
泣き叫ぶ程の狂乱状態 となったのであります。
そして、予想もしていなかった放送が!
落雷と集中豪雨のため、JR中央線の運行中止!!
となったのであります。
翌日の新聞によれば、
諏訪湖周辺は、一時間降水量74.5ミリ
昭和47年統計開始以来の最大の記録という。
第五章 駅構内での笑いと涙の五時間
涙編
これからは、テレビや、新聞では、報道されない
大変な試練!!
そして、感動のシーン について、お話いたしましょう。
完全に、電車は止まり、
プラットホームの出入りも、ストップ。
上下線のプラットホームは、
ビショヌレの私たちも含め、
何人だろう!
花火客で溢れ、人、人、人という感じでありました。
しかも、それぞれのグループや家族が、固まりあって、
立ったまま、電車の運行再開 を待ったのであります。
駅の係りの方も、慣れないことであったと思われますが、
電車の運行のめどが立たないので、情報が入り次第、放送いたしますという内容
を繰り返すだけでありました。
緊張のあまり、毎回案内の言葉がカミまくり、その混乱振りが、手に取るようでありました。
JR中央東線は、岡谷駅の雨量計が、規制値を超え、岡谷諏訪地方に土砂災害警戒警報が発令されたという、
最悪の状態の中に、入ってしまったのであります。
何度も何度も、運転再開のめどは未だ・・・との放送に、
数人の人が、係りの方に食いついては居られましたが、
日本人のすごさは、ここにあり!!ッて感じ。
ほとんどの方が、あきらめ感の中、比較的冷静 でありました。
私たちの孫たちも、雷と雨がやんだあとは、驚くほど、お利巧で、よく我慢していたと思われました。
構内に入って7時半頃から、1時間半ほど経過。
ここで、現実的な問題が・・・
ある程度の緊張が解けてくれば、生理的な現象。
次男とその子達が・・・
トイレはどこだろう?
” 係りの人に聞いて!! ”
とにかく身動きも取れない感じの人であります。
茅野の方面の階段の方に走っていきました。
ところが、なかなか帰ってこない!!
この間に電車が来たら・・・
乗り過ごしてでも待ってなきゃイカンね~~~
不安な気持ち!!!
その間は、逆に、未だ、運転再開しないで~~という複雑な気持ち。
一時間くらいして
いや~~~~大変だわ~~
何、迷子になったか???
ちがう!!トイレが満員で、大変だよ!!
となったのであります。
未だ再開しないと思うので、今の間に・・・となり、
私と、妻と三男のお嫁さんと、ホームの連絡通路を渡って、
警備の警察官の方に
トイレに行かせてください!!
電車を待つお客さんが、暴動化しないように、階段に、綱を張り、
下りのプラットホームに入らせないようにしていたのです。
これで規制しないと、プラットホームは、大混乱になると思えたのであります。
ここも、大勢のお客さんが、秩序正しく押し合いはあったと思われますが、
冷静な感じでありました。
荒々しい会話のやり取りはなかった 様子でありました。
この混乱状態の中で、日本人のすばらしさを、再び知ったのであります。
これからが、また大変
トイレはどちらですか??
ここが、男の尻尾だよ!!
ええ!! と思わず叫んだのです、
なんと、20人は並んでいたのです。
移動も含め、男の人は、一分半としても、
30分か~~
この間に電車が来たら、また大変だ~~
そんなこと言ってられない状態のなか並びましたが・・・・・
そりゃそうと、女の人は?
と思って見ると、
なんと、蛇のように回っていて、一時間は並んでいる!!ってことでした。
これは、地獄のようなって思ってしまったのであります。
私が、7~8番目の所に来たとき、
出てきた男の方が、女の人の凄さを見兼ねて、声をかけていました。
男のトイレが空いてるから、使えば'''・・・・と。
しばらくして、2~3人が、遠慮がちに、男性の横に並び始めたのであります。
普段、男性用に入ってくる人には、どうしても、
ナニ!この人!!って気持ちがありましたが、
この時ばかりは、よく思い切って来れたね〜
良かった、良かったって、、、、
そして、うちの二人も、思い切ってこれば、・・・と思っていた所、
私の少し後ろの右の列に,二人で並んだ様子でした。
ナニ!きたんだ~〜
もうね〜状態が状態だからね〜
私が用を済ませても,なかなか来ない。
電車が気になる。
何度も何度も探しに行ったりしましたが、なかなか連絡通路に上がってこないって感じ。
三男のお嫁さんが遅れた理由は、
気の毒な三人の親子に、順番を譲ったという。
なかなか、出来ない事をしたな〜と・・・・
何だかんだで、みんながいる所に戻れたのは、
50分位後の10時前かと・・
普通に並んでいれば、おそらく、1時間半位は・・・と。
今までは、このような緊急事態は、なかったとは思いますが、
この異常気象の時には、起こり得る事態と思えてならないのです。
諏訪のこの事態を教訓に、
私たち経験者として、お願いしたい。
仮設トイレの設置や、
体調不良の方のための、最小限の椅子などの緊急搬送体制 の検討
の必要性を、痛切に感じたのであります。
二度とあってはならぬこととは思いますが、、、、、
第六章 駅構内での笑いと涙の五時間
笑い編
10 時頃になって,場内放送が
間も無く,隣の茅野駅から、点検車両 が出発いたします。
運行可能の確認ができれば、運行再開となるとのありがたい内容に、
あ~ようやく少し前進か~と安堵のため息のような、
ざわめきが・・・
早く来てくれ~ 点検用車両!!
車両が来ましたら危険ですので、黄色い線 まで下がってお待ち下さ〜い
何両だろうね~
とそれぞれが,一両か?
いや~三両くらいじゃ~?
でも、なかなか来ないのです。
場内放送も、他に情報が入らないらしく、同じ内容をくりかえすだけ。
なんだかんだ、待つて、まって、何と !
11時 になろうかという時間。
プラットホームに入って、3時間半。
びしょぬれの服装は、自分の体温や、周りの人の熱気で
ほとんど乾いていたようでありました。
流石に足が疲れて来たので、花火用に用意した座布団を地面に敷いて座りました。
周りの人も、当初の話し声も少なく、寝ている人がたくさん、,、
私の孫たちは本当に、よく頑張ってるって感じ。
寝ることもせず、泣きもせず。 ビデオ撮影 までしていました。
突然、放送が
まもなく点検用車両が来ますのでご注意ください。
みんなが、待ちに待った、朗報であります。
すると、向かいの登りホームの人が左方向を見ているではありませんか!!
今までの緊張感を吹き飛ばすような
何ともしれない笑いの渦 が巻き起こったのであります。
私たちも、ホームの左の方の人の間を、目を凝らして見たのです。
すると、どうでしょう。
右手方向からくるであろう点検用車両 を想像していたので、
左から入ってきた車両を見て、向かいのホームの人たちよりも大きな、
こころ和ませるような
笑の渦
そして、子供達の楽しげな笑。
それはとても口では言い表せない感じの 瞬間でした。
入ってきた車両というのは・・・
次の2コマの写真をご覧下さい!!
二人乗りの電動式自転車が二台つながった感じの車両。
動画が配信出来るようになりましたので、
緊張の中での、なんとも知れない笑いを、
感じていただければ、・・・・・
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大注目の中 、ゆっくりと入って来たのであります。
この緊張の中のほのぼのとした笑いの渦が、
とても心和ませる一シーンとなったのであります。
二男も疲れたせいか、ホームでのビデオは、このシーンだけであり、大変タイミングのよい貴重な映像となったのであります。
ホームにいて、今か今かの思いで
電車を待ち続ける切ない気持ちの中での,
最高の笑い は
一生忘れられないと思えたのであります。
誰もが、点検車両というからには、2~3両?
ホームに入ってきたら、危険!!
右方向の茅野方面から来るなどの情報とは、
あまりにもギャップがありすぎて
あの笑いに繋がったと思っています。
何はともあれ、点検車両が ,通過したのです。
でもここからが、なかなか好転してゆかないって感じ。
疲労と、あきらめ 感の為、いま何時?というはっきりした認識がなかったのですが、
多分、11時半過ぎだった感じ、
なんと、ホームに入って四時間は経過!!
第七章 ようやく構内に電車が!!
頻繁に尋ね人や、
旅行会社の方からの、ツアー客への連絡事項
などの放送が繰り返されるうちに・・・・
まもなく、岡谷駅を発車して、
登りホームに、電車が到着いたします。”
との、みんなが待ちかねた放送がありました。
すると、誰が合図するまでもなく、
” わ~~~!” という歓声と共に、
大きな拍手が、向かいのホームに
響き渡ったのであります。
そりゃ~そうです!もう、四時間は待ったのです。
何をすると言うことなくですよ!
しかも、あてのない時間を、みんなが、待ったんです!!
でも、私たちの下りの案内はなかったのであります。
当然ながら、私たちホームには、
喜びの声と共に、自分達への不安な気持ちのため息とも取れる、
ざわめき が起こったのであります。
時間から見ても、私たちには、焦りのような、嫉妬のような
不安感を覚えたのでありました。
でも、十数分して、
わがホームにも
” まもなく、茅野駅を、電車が出ます。
特急電車ですが、普通乗車券で、ご乗車いただき、各駅停車いたします~~。”
という本当にありがたい
待ちに待った 放送が入りました。
すると、私も含め、
” わ~~~” という歓声とともに、
大拍手が沸き起こったのであります。
もう、その時のうれしさは、表現しがたいものでありました。
ア~~これで次のステップに移れる~~って感じでありました。
映画とかの、シナリオに基づいた、シーンではないのです。
ず~~と我慢して待ち続けた後の、
喜びが自然に出たのであります。
このときばかりは、みんなの喜びの声と共に、感動的なシーンに遭遇出来た喜びも含め、
涙が出そうな感情 に襲われたのであります。
三歳半の子を含め孫たちとそして、私たち大人五人の九人で、
喜びをあらわにして、電車を待ったのであります。
のぼりの電車が入ってきて、反対ホームの人が電車に乗り込み、
嬉しそうな顔!顔!顔!
電車の窓を通して見える、プラットホームの人影が少なくなって行く光景は、不思議と
寂しさを覚えてしまう不思議な心の動きに、
自分ながら、” これって!どういう感覚??”
と思ってしまったのであります。
登り電車が、無事に発車!
” まもなく、下りホームに特急電車が入ります!
危険ですから、黄色の線まで下がってお待ちください!!”
いや~~久しぶりに見る電車。
満員じゃないか??
みんな降りる人なのか??
だんだん不安感が広がってきました。
特急電車は、四人ガケの席なので、あまり乗れないのでは?
小さい女の子までチャント乗れるのか??
乗降口が私たちの前で、運良く止まってくれるのか??
私の心配事が、全て出てしまい、
乗降口と乗降口の丁度中間点に私たちは、立っていたのです。
” シュ~~ッ” というドアの開く音共に、
このときばかは、乗客の混乱が結構ありました。
乗降口まで、人が殺到という感じになったのであります。
私はこの時点であきらめを、決意!!
小さい子達も一緒に,あの混乱の中には って感じになったのです。
このときばかりは、秩序正しい日本人という感覚は、少しさめた感じ・・・・・
駅の係官の
” 押さないで下さい!!”
” やめてください!!って、
中で言ってるでしょ!!”
と結構何度も、
何度も、大きな声を張り上げていました。
乗りはぐれた人も、あきらめたのか、それ以上は、押し合いもなく、
再開一番電車をかなりの人が見送ったのであります。
ちなみに、私のすぐ前で、ず~と話しに夢中になっていた若い浴衣姿の女性の二人ズレは、どのようにして乗ったかはわかりませんでしたが、結構奥の方に乗っていて、
やめてください!!って叫んでいた人だ~~と・・・・
” 次は、すぐ来ますか?”
” はい!普通電車がまもなく入ります!”
” 次は、乗れますか?” にたいして、少し周りを見渡して、
” 前が少し余裕がありますから、前の方に移動してください!!”
となり、私たち九人は移動して、混雑の少ない前のほうに・・・・
” 階段を下りた付近にいたので、
一番混んでいた所にいたんだね~~”
” 運悪く特急電車だったので、
あまり乗れなかったんだね~~”
” まあ!ここまでこれば、必ず帰れるから、
これで良かったんだよ~~”
第八章 懐かしきかな岡谷駅・・・
おかげさまで、再開二番電車にはほとんどの人が乗れた模様で、
” あ~あ~やれやれだね~”
”みんな怪我もなくて本当によかった!!”
ここでビックリしたことが、
二男の長女、小学六年の女の子。
私たちが座席に座っていた所、
どんどん乗ってくるお客さんに
” どうぞ!” といって他のお客さんに席を譲ったのです。
必死の思いで湖畔から脱出して、しかもプラットホームに
五時間も立ちっぱなし
とても疲れていたであろうに、席を立ったのです。
電車の区間は、二駅だけとしても・・・・・・、
” いつの間にか、大人になったな~”
” 特に、この五時間の間に、
いろんな人生勉強が出来たのかも?” と・・・
岡谷駅で降りて、近くの24時間スーパーで、食料品を買い、
翌日にラウンド予定の諏訪レイクヒルカントリーの予約ホテルに着いたのは、
なんと、日付は変わって
8月16日午前一時過ぎでありました。
ホテルの方も、とても心配していただきましが、
”未だ帰っていない方が、二組ほどもある”ってことでした。
また今回の諏訪湖のほとりの場所取りを朝早くからしていただき、
見知らぬ土地の案内図まで、詳しく指示していただいた知人 。
大混乱の中、私たちを助けに車を出そうと、
幾度も電話連絡をしていただき、ホテルの方まで、幾度となく、問い合わせを頂いていたとのこと、本当に感謝した次第でありました。
人と人とのつながりのありがたさを、感じたのであります。
残念なことに、携帯電話は、緊急事態のため、電話が通じず、また、あちこちに電話をかけまくった為 私の電話も妻の電話も電池切れ状態
完全に連絡の取れない異常事態となっていたのであります。
そして、朝を向かえ予定どうり、次男と三男と妻の四人で、早朝ゴルフを楽しみ、今年のお盆の日程を、とりあえず終えたのであります。(ゴルフの結果は、特記するまでまなく,メロメロ状態でありました。)
第九章 諏訪湖祭湖上花火大会 ありがとう
今回の諏訪湖祭湖上花火大会は、二度と経験する事のできない体験が出来、
結果的に、孫たちも、
いい経験が出来、一生忘れる事ができない
と、話してくれ、安堵した次第であります。
そして、三男のお嫁さんから、
お父さんの、素早い対応は、凄かった。
なかなかできない事だね、と
褒めて頂き、自分ながら満足のゆく対応ができ、
また、みんなに、二度とない体験を
プレゼント?出来たことに、
誰にとはなく 感謝した次第であります。
小さい子達が一緒だったことが
そうさせたこと
として,みんなで、長い一日の事を何度も何度も 話したのであります。
想像でありますが、花火会場の水際にいて、
小さい子四人を交えたグループが、豪雨の中、
駅封鎖の前に上諏訪駅構内に戻れたのは、
あまりいなかったのでは?と
今思えば
よく脱出できた!と痛感した次第であります。
そして、諏訪湖祭湖上花火大会の魅力を痛感し、
来年リベンジを!!
と思えてきたのは、不思議な感じでありました。
翌日の朝刊(信濃毎日新聞)によれば、
主催者発表 県内外から、50万人の観客
昨年と同じ、4万発を打ち上げの予定だったという。
後日、地元の方とのお話しで、
今まで、諏訪に長年住んでいて、あのようなゲリラ豪雨は初めて、という。
また、近隣の町から訪れていた方の中には、
茅野市や、岡谷市まで歩いて帰られた方も結構あったそうであります。